ヒッチハイク

昨日あげれなかった。

 

今日二本書こうー。

 

 さて、ヒッチハイクですが、まだやったことはありません。

しかし、なんという幸運でしょー、あした東京から熱海までトライしてみまーす。

 

今まで、公共交通機関:暑い、人うざい

自転車:トロイ、雨降ったら濡れる

自家用車:まだ免許持ってない、取ろうかな?

だったのに、人の車しかも他人のを借りるなんて夢にもみなかった。

 

YouTubeで、ジョーブログさんとか森脇さんのチャンネルとか見させてもらってすごいなーとかおもってたけど、やる気はおきなかった。

あ、この人たちはすごいんだなー。みたいな、

でも、今はアクションしよう期間中なので、やることにしました!

やばい、寝ちゃった、今そろそろ朝だ。

ヒッチハイク大丈夫かな?今日の出会いを大切に、今日は冒険の予感!

アクションを起こす

私はほんの数ヶ月前までは、微塵もアクションを起こさない人でした。誰にも影響を与えず、誰からも影響を受けず、自分の中で自分が一番の王国を作ってただただ平凡な日々を送っていました。

いつも何か瀬戸際や、ギリギリのところこれ以上行ったら絶対怒られるとかの所にはいかず、普段はいかないような道を歩いてみようとか、イベントなどがあっても、いく興味さえ示しませんでした。

その頃は、流れに流されたままに生きていくのが一番楽でいいなとおもってました。

でも、少しは流れに逆らって生きていく方が後から楽になるかもしれないし、何よりも楽しいという感情が付いてくることに気付きました。

楽ではないけれど、精神的にも楽になりました。毎日が楽しくて、疲れを知らない人みたいにいつも笑ってて、活発に動いてます。

こんな自分をいつ想像できたでしょう?きっと行動しなかったら一生見つけられなかった自分に今出会えました。

物事はやって見なきゃわからないっていう言葉はすごいなと思いました。、やる前に考えてもわからなかったものも、知れちゃうチャンスかも知れないからです。

これからも、じぶんのやりたいことは、じぶんから掴み取りに行く姿勢を忘れないようにします。(`_´)ゞ

決断

決断って人生で何回もあって、一回ごとに色々考えちゃって難しいですよね。

 

今日は、何かを決めるときに、その選択は逃げだよね。って言われることについて書きたいと思います。

 

まず、逃げの選択って何でしょう?私の意見としては、何もかも考えるのがやになってしまって、どうでもいいやと投げやりに決めた決断です。

 

自分以外の人からは逃げの選択と見えても、その人自身にとっては逃げの選択ではないこともあります。自分のやりたいこと、理由、未来を明確に想像し、自分の意思でそれを選択したら、何でもしっかりした決断だと思います。

 

ときには言葉通り何かから逃げなければならない場合もあります。そこで逃げることも非難されてはどうしたらいいのでしょう。そこで、誰かに強いられた決断をしょうがなくしてしまうことの方が逃げだと思います。なぜなら、人間は一人一人自由に生きるべきだとおもうからです。

 

なんか息苦しい世の中だなと思ったら自分好みにカスタマイズすればいい、いつでも自分の思った通りに決断していけば、攻め続ければ、妥協しなければ、負けはしないと思います。

 

これからも毎日のように決断をしていくと思いますが、頑張って行きましょう笑

自殺

自殺って、なんでするんだろうとか考えたことあります?私はあります。多分考えたことある人も多いと思う。

私の見解では、自殺ってその人自身その時楽しくないんだと思う、生きてて

だから、最終的に死んじゃおうかなってなっちゃう。

楽しくないって言うのは、苦しいと同意義語にもなりうると思う。人は好きなこと、やって見たいこと、ワクワクすること、をやってみようと思う!そのようなことにつけては、疲れ、寂しさ、苦しみ、辛ささえもあまり感じず、それらがあったとしても、その状況さえも楽しんでしまうからだ!

じゃあ、次はなんでその人たちは楽しいことを見つけられなくなるんだろう?その人たちだって、人間だ。死のうと思う前まで生きてきたんだ。自分のやりたくないこと、進みたくない道を進んできたわけじゃないと思う。

その人たちを苦しめてたものはなんだ?その人達自身か?それとも、環境か?

もちろんその人達にも原因はあると思うが、私は環境の方に目を向けたいとおもう。

 

結局、この世の中自分のやりたいことだけやって生きることのできる人は一握りだとか、社会をかめてるだとか、人一人の可能性を、今までの歴史から全部決めてる気がする。過去1秒前までに築き上げられてきたものは確実だから、それとこれらを比較してもいいと思う。だけど、すべてをそれに費やすのはどうか?そこで、人の人生を少しずつ制限していき、自殺志願者が増えてる現状をどう見るか?

今の社会は自殺数が年々増えてる現状への対処として、その数字を減らせばいいと思ってる。

根本の問題を少しも曲げずに、手先だけを動かして、どうにかしてうまく治ればいいと。

 

何をするにも、体ごとそのゴールに向けなければ成功は掴めないだろう。なぜそうしないのか私にはわからない。

 

自殺しようとする人にも子供時代には夢があり、社会を知った途端諦めるってどうなんだろう。その結果生きる楽しみを感じ取れなくなってしまうってどんなに辛いことだろう。

そんなの、個人にしかわからない。けど、その個人に向き合わなくて、どう問題を解決し得るものか、

自殺見たいな難しいことを、考えるのはまだ早いかな?でも、私は自殺問題を、人が楽しく人生を過ごせるという方向でポジティブに、いい方向に持っていけたらと思う。

 

 

是非色々意見ください!

音楽

音楽って何ですか?

 

今も音楽を聴きながら書いてますが、なんで聴いてるんだかわかりません。

 

そもそも、好きなグループとか歌手とかいるけどその人や団体を好きな理由って明確に断言できますか?

 

好きだから好き。直感でしかない、理由なんか私にはありません。気づいたらずっと聴いてた、聴いてて気分がいいとか。

 

なんでしょうね。わかりません…

 

しかし、音楽には人を惹きつける不思議な力があると思います。なぜなら、音楽といっても人が音楽とみなしていない日常にある音などありふれており、それ無くして人間は生活していないからです。

 

また、人それぞれ自分好みの音があり、それを聞くと理由や根拠はなくとも落ち着くとか、安心するとか、テンション上がるとか。こんなことができる音楽はすごいですよね。

 

他に音楽の良いところといえば音に詩を組み合わせたり、音だけで楽しんだり、楽器を使ったり、形態が様々あるところですかね。

 

詩と組み合わせると人に何かを伝えたり、自らの感情を吐露する場所にもなりうる、音を作ることができる今楽器がなくても綺麗な音を聞くことができます。反対に楽器というものを使うとそれを使わなければ聴けない音や、感覚を味わうことができますね。今の楽器はうまくできているけど、楽器が生まれた頃とか気になりますよね。よく道具を使って音を作ろうと考えたなと思います。

 

こういう音楽を、創ったり、鑑賞したり、することができることに日々感謝を覚えます。

 

きっと、おんがくとは死ぬまで切っても切れない関係が続くと思います(^ ^)

富士山

日本の誇る山といったら、みな富士山と言うと思う。毎年年始などにテレビでみたり、初雪などで話題になったりするものの、実際に登ったことのある人は少ないと思う。むしろ、海外から来た人たちの方が登ってる気がする。

私は富士山というと、景色がいいとか、自然が豊かとか、とにかくでかいとか、そういうことしか思いつかないけど、一回は登ってみたいと思う。

そこで、山登りを甘くみてるとか言われちゃうカモだけど、登ろう登ろうと思うだけだと、「気づいたらおじいちゃんになってた」みたいなことがあるかもだから、来年の夏までに一度登ってみようと思います。東京にいると、高尾山というところがあるので、山登りというと楽なイメージしかないのですが、空気の薄さや、体力的な辛さなどを超えた先にどんな成長や景色が待ち受けているのか、見てみたい。

 

私は写真とかで見る綺麗な景色は好きですが、自分の目でその景色を見たらどうだろうとか思います。その点でも富士山の麓から見て行き山頂までの景色を見るのもたのしみです。